少人数スポーツへの流れ
東京オリンピックを約2年後に控え、日本でもスポーツに関するニュースが多くなってきた。
現在日本に限らず、世界では少人数スポーツに移行していく流れになっていると考える。
日本国内の強いスポーツである
バドミントン、卓球、テニス、水泳、、、
などは全て個人、又は2人などの少人数チームでできるスポーツである。
野球やサッカー、ハンドボール、ラグビーなどは日本国内で盛り上がりはあるが、年々チームも少なくなっている。
バレーボールも昔は社会人レベルでも多くのチームがあったが減少の一途である。
これには、日本の少子化問題が一番大きい。
練習試合をするにしても、野球だと18人最低で集まらなければならないが、テニスのダブルスは4人集まればでできる。
また、SNSの普及によって全てのスポーツが認知され選択肢が増えたという時代背景もある。
昔は野球をやる人が多かったが、今では色んなスポーツに手が届く。
部活動だけで行なっていたスポーツ活動が、今は外のクラブチームで行える。
私の個人的な見解だが、これからは少人数スポーツが主流になると思う。
一つは先程述べたような少子化の問題。
もう一つは資金面である。どういうことか説明していく。
例えば実業団のバレーボールチームだと、スタメンがリベロを合わせて7人いる。
それに加えて紅白戦をしたり、リーグ戦で怪我をする選手が出ることを想定して倍の14人は最低でもチームに所属している。
それに加え、監督、コーチ、トレーナー、アナリスト、通訳、マネージャーが最低でも所属している。
そうなると約20名の人がチームとして1シーズン戦うことになる。
するとチーム側はこの20人を雇わなければならない。
契約は選手やスタッフの力量によって差があるが最低でも300万支払われるとする。
すると300×20=6000万の資金が1シーズン当たり最低でも必要になる。
それに加え当然、リーグでは好成績を収めたいため強いチームは外国人助っ人を呼ぶ。
日本に来ている外国人助っ人は大体年棒が一億円くらい。
すると1シーズン当たり1億6000万円。
絶対に年棒300の選手、スタッフなどはほとんどいないと思うので約2億に届く数字になる。
1シーズン戦うだけで約2億円もの費用がかかるのだ。
これは最低限の人件費だけの話で、
チームはこれを最低限回収して利益を上げるのが必要になってくる。
Vリーグの平均来場者数は3000人にも及ばない上に、グッズ収益もあまり積極的でない状況でどれだけ赤字かが容易に推測できる。
だが、日本のバレー界はほとんどのチームが企業の管理下で、契約は社員なので自らのチームで利益を上げなくても良いシステムだ。
新しい新Vリーグが発足したが、ほとんどの企業チームが当初の案に合意しなかった理由がここにある。
自ら集客を何十年も怠ってきたのに、急に自ら集客して約2億以上を軽く稼ぎ出せと言われて納得できるはずがない。
他のチームスポーツであるバスケットが物凄く集客に力を入れている理由はこういう事なのだ。
下の写真はBリーグになって初めてのシーズンを終えた後の決算概要である。
(Bリーグ2016〜17決算概要)
営業の利益は約9億3千万円。
このシーズンの千葉ジェッツの最終的な利益は約5000万くらい。
人件費が物凄くかかることがお分かりだろう。
チームスポーツでは人件費がかかり過ぎるのだ。
営業利益で約9億も稼いでも、最終利益が5000万の現状をみて、バレーボール界は親企業のスネをかじり続けることを選択したのだ。
一方、少人数スポーツではその個人や少人数チームで成果を出せば良いのでさほど大きな額を稼ぎ出さなくても良い。
例えばビーチバレーで活躍したければ、選手2人にコーチ、トレーナー、マネージャーが最低限いればなんとかなる。
5人の人件費だけで済むので、6人制のチームの4分の1である。
(簡易計算であり、詳細は違うことをご理解頂きたい)
仮に全員が年棒1000万円だとしても人件費は5000万円で済む。
また、ホームゲームで試合をするというよりは大会に参加する為、会場費やら他の費用がかからない。
年間一億の営業利益を出せばより多く資金を分配することができる。
現代ではSNSが発達し、クラウドファンディングなどでの資金調達も可能な為、チーム単位よりも個人単位での方が動きやすいのは明らかである。
このように、現在は時代の流れで少人数スポーツがかなり有利になると考える。
日本は少子化、高齢化が進むのは確定なので、大人数のスポーツは厳しい経営状況になるだろう。
大人数スポーツから少人数スポーツへの流れは止められない。
だからといって大人数でやるスポーツがダメになっていくわけではない。
どのように生き残れるかを、アスリート自身が、コーチ自身が考える必要があるのだ。
スポーツだけ上手くなれば飯が食える世の中ではなくなったのだ。
アスリートが個人をブランディングし、ツイッターのフォロワー数が多ければ多いほど自分の競技に集中できる世の中を知らなければならない。
自分自身に価値を付けなければ、どんなにバレーが上手くても淘汰されていくのだ。
錦織圭選手1人に2000人の人が来るのと、バレーチームに2000人の人が来るのではまるで訳が違う。
1人の選手に対し2000人
VS
(14名選手×2チーム)=28名に対し2000人
選手1人当たりに対しての観客は2000人と71.5人の差なのだ。
武井壮さんがそのことについて語っていた。
どんなに上手くても観客やサポートしてくれる方々がいなければそれは価値ではないのだ。
アスリートの多くが自分の価値を高めようとしていない。競技だけやってるのは時代錯誤なのだ。
日本トップクラスのバレー選手よりも、バレーが国体レベルくらい出来るはじめしゃちょーの方が絶対に世の中の人は観たいのだ。
企業はそのような人材を欲しがる。
そのような世の中に変わってることをアスリートは知らないし、学生でスポーツを続けている人は尚更だろう。
時代の変化と共に、スポーツ選手は自らに問いかけて行動しなければならないと私は考える。
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日本の中学部活動の現状
私は、普段は学生で外部コーチをしているので、スケジュール上毎日部活動に顔を出すのは難しい。
私は中学の外部コーチとして担当している役割が幾つかある。
●スキルコーチング
●フィジカルトレーニング
●ボディケア
●トレーナー(テーピングや応急処置)
を担当している。というか勝手にやらせて頂いている。
全てに関してプロの先生から教えてもらったことをベースとして生徒には伝えている。
学生なのでレベル的にはプロには遠く及ばないし、もちろん公立中の部活で給料など支払われることはない。
最近はまだ良くて、大会の移動の高速代で1400円が支払われた。
本当にボランティアである。
学生の外部コーチとしては、ある程度の役割は経験させてもらっているのでありがたい。
だだ、全てを管理できていないのも現状だ。
私も学生なので本業は学業である。バイトもしているし、相当時間が限られている中ではあるが参加させて頂いている。
もちろん自分の余暇などない。
学生で指導者をするというスーパーボランティア精神溢れる若者を本当に尊敬する。
まだ私は好きでやってるだけましだが、顧問の先生の大変さは痛感している。
私の指導しているチームの顧問の先生はバレーの指導経験がなく、全くの素人。
だが責任問題上、土日は必ず部活につかないといけない。
部活の休みはテスト期間と週一回月曜日だけ。
普段も生徒対応や、学校のことで忙しい日々。
その上、保護者からは「合宿しましょう」と言われる。
(必ず部活単位での行動は顧問の先生の責任になる為、必ず顧問がいなければならない)
二回戦で敗退したときは、保護者との飲み会に招かれ
「もっとこうするべきだ!」
「コーチと顧問の先生がもっと連携すべき」
などと散々言われ、挙げ句の果てには
「フォーメーションはこうした方がいい!」
「サーブミスは許すな!」
と言った、コーチングの部分まで言われる始末。
私も顧問の先生も手一杯なのだ。弱音を吐いているのでは無い。
現実問題、私は学業、顧問は学校のことがメインで、部活動に投下できる時間が少ない中でやっていることを大衆は知らない。
いや、知っていてもそれをして当たり前だという文化が本当に顕著である。
話はそれるが、そこで思うのが本当に今の親は少しかじってるくらいでモノを言ってくる。これは指導者を目指す人は気をつけてほしい。
昔少しバレーをしていたとか、ママさんでバレーをやっている程度の人が口を出してくるのだ。
口を出すのはいいが、指導者には指導者なりの哲学と理論がある。それを聞かずに色々と口を出すのはやめてほしいが実際問題、保護者は口を出してくる。
私はバレーをかじった程度で心理学、バイオメカニクス、コーチングなどの様々な学問を学んだことのない親の言うことは真に受けないが、一応聞くようにはしている。
中学カテゴリーで指導している指導者の苦労は計り知れない。それに対応する強さが必要だと身にしみて感じた。
これだけ時間もお金も知識もタダで提供し、投下しているのに文句を言われるのだ。
外部コーチというポジションの私が参加しているだけでも、他の中学のチームに比べれば良い環境で選手は練習をしていると思う。
周りを見渡せば、顧問が初心者の先生でコーチも付いていないチームが多い。
そのような環境下で「上手くなりたい」と思う選手に、十分なサポートができない歯がゆさを実感している。
顧問が意味不明な指導者なら尚更だ。
そのチームで指導者崇拝論を叩き込まれ、無能を隠すため意見が言えないような指導者と出会っても抜けきれない。
抜けても所属できるチームがない。だからバレーを続けるには嫌々でも長くて3年間の苦行を強いられる。
このような状況を変えたくて、他のチームの選手を私が指導できればと思う。
だが、ただでさえ私の受け持っているチームでも、相当な時間が限られている中、他のチームの選手を指導するのは現実的ではない。
中学では責任問題があるので、自由に「練習しにおいで」とも言えない。
負のスパイラル状態なのである。
日本はこのような劣悪な環境下で育成システムを回しているということに危機感を持たなければならない。
部活と言う名のスーパーボランティア制度を廃止し、指導者の価値を上げるような取り組みがいち早く求められる。
知識は無いが、時間と自己承認欲求の強い指導者が貪っているこの状況を変えなければならない。
知識、経験がある若者や周囲の人々を巻き込んで作り上げていかなければならない。
どうするべきか21の若者は答えを探している。
何もできない無力感と、自身のことでいっぱいになりながら今日も進んでいく。
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衰えゆく感性
昔はこの海を観ながらボーッとする事が大好きだった。
時間も、予定も、スマホも気にせずにただ自然を楽しんでいた。
いつの日か、海を見るにも次の予定を気にしている。
スマホを常に気にしている。
周りの目を気にしている。
そんな自分にとても違和感がある。
いつから自分という存在は、情報や知識に支配されているのだろうかと。
ただ感じることの難しさ
何も考えないことの難しさ
知識を得たらもう戻れないのだと。
昔のように純粋に楽しむことも出来ない。
それが良いか悪いかではなく。
もう一度頭で「ただ楽しんでいいんだよ」という命令を下さなければ楽しめない愚かさ。
経済、SNS、損得勘定、友人関係、お金。
どうでもいいことに時間を、自分を使っているこの愚かさ。
お金という支配を長く受け、自分が汚れ、心が汚れ。
もしいま私に死が迫ると、愚かだったなと分かるのに、分かっているのにその呪縛から逃れられない人類の愚かさ。
なにかを見て、これは良い悪いと評価しないといけないこの愚かさ。
ただそのものを楽しめない。評価という呪縛からは逃れられない。
私は何も知らない人が幸せだと思う。
何も知らない方が良い。
ありのままに楽しめる人が幸せじゃないかと。
ワイドショーを毎日見ていて幸せになる人はいない。大きな感動もない。
それより青空の下で昼寝をした方が生きてる心地がする。
知識と同時に自然を感じる感性が必要。
自然が良いとか悪いとかではなく。ありのままに感じる力。
ありのままに感じることに恥じないでほしい。
自分を出すことを恥じないでほしい。
あんなに純粋だった頃のままでいい。
「ありがとう」「ごめんなさい」が言えれば十分。
バカになることの難しさ。
良い人、規律のある大人という幻想。
とにかく長いミーティング問題
私が、日本の部活動で一番身近に変えたいなと思うのが
【長すぎるミーティング問題】
です笑
バレー界だけじゃないと思うんですこの問題。
中学生の部活指導現場を見ると、いちいちミーティングが長い部活がほとんど。
それを見るたびに
「そんなに話すことある?!」
って私は思うんですね。
ダラダラと長いミーティングで特徴的なのが
●話の内容やポイントがまとまってない
●指導者が一方的に話す
●とにかく話が面白くない
が多いんじゃないかなと
もう、話してる自分に酔ってるよね。
指導者、伝え手側の工夫がなさすぎるなと
聞く人がちゃんと聞けみたいな文化ですよね。
いや、伝える側に問題があるんだよ!とも言えないし、それを知ったのも私が専門学校に通い始めてからでした。
私が「これって伝え手の責任じゃね?」って思えるようになってからは、もう違う視点で見えているのですが、現場にいる選手はまだその洗脳を受け続けているような。
ちなみに
私がするミーティングは
1. 長くて5分
2.面白そうな話題を具体例でくっつける。
3.選手に話を振る
4.改善ポイントは3〜4つまで
を意識しています。
話を飽きないで聞いてられる時間は多分で5分くらいかなと。
また、耳から入る情報は10%未満なので本当に大切な話は動画とか、資料として作った方が効果的かなと。
毎回そんなミーティングはできないですが、そんなに言うことがない時はとにかく飽きないように
話を短くするか、世間話とかでコミュニケーションを取る時間に切り替えてます。
要は「この指導者の話、毎回長いよなー」とは絶対に思われないようにしてるんです。
そう思われてしまったら最後、本当に言いたいことがあっても聞いてもらえなくなるので。
この問題で何が本質的なことかなと考えた時に、指導者自身がまとめきれてないんじゃないかなと思うんです。
・言ってることが、少しずつズレていったり、
・解決できる問題とそもそも環境的にどうしようもない問題をくっ付けたり
・自分の個人的な内容を話したり
などなど脱線する内容があって、それを聞く側としてはたまったものではないんですね。
んで、分かってる指導者の方は大体若い方なんですね。
多分その辺のセンサーが敏感なのか、そのような文化に染まりきってないのか分かりませんが。
また、ミーティングなので「選手も話す」文化を作りたいんですね。
(というかそれがマストです)
聞いてるだけだと集中力は落ちるし、一番は理解度が全然違う。
そうなってくると大事なのが指導者が上手く話を回すとか、まとめるとかの能力も必要なのかなと。
一番はトップ企業の社内会議とかを選手に見せて、このぐらいの討論しようぜみたいなお手本を見せれたらベストですね。
まだ日本の部活動的価値観の文化では、選手が話す文化が出来てないし、指導者崇拝的な感覚がまだ根深いのでここから変えていかないとなとはつくづく思います。
とりあえずみんなで問題点を共有して、作り上げていく作業をしていかないと、飽きるし本当の意味でのミーティングは出来ないと思うんですね。
伝え手側の努力として、伝え方の本を読んだり、【TED】を見たりして伝え方を学ぶことが大切かなと思うんです。
長い無意味なミーティングから変えていくことが、部活動としての価値を高めることに繋がるのかなと。
まとめると、ミーティングする時間を短くしていけたら、集中力も無駄なところで使わなくて良くなるよねって話でした!
考えさせるという罠
今、指導者の方針として多いのが
「選手が主体的に、能動的に動くこと」
を目標とする傾向にあると考える。
日本に根深く蔓延っていた、体罰や命令で人を動かしていく、軍隊的な練習法からの脱却をしていくような流れになっていると思う。
実際、私の教えている沖縄県の中学生カテゴリーでもこの指導方針は少しずつ広まっているが、先生方の知識のアップデートが遅いとつくづく感じている。
まだ、半軍隊的な練習をしているチームもあるし、生徒が何も発言せずただ「はい!」と威勢良く答える選手も多い。
たまに他のチームにお邪魔して、そのように理解していないが、返事は威勢のいい選手には少し意地悪をして
「今言ったことを3つぐらいポイントにまとめるとどうなる?」
と言ってみる。すると急に目の色を変えて考え始める。
「理解してないなら、はいって言わなくていい。分からないならどんどん聞いて」
と言いはするが、多分監督はそのように質問させるような教育をしない人だからこうなっているのだなと思っている。
指導者の方も、アップデートしている人だと質問を投げかけて考えさせるようにしていると思う。
代表的なのが、生徒に質問をして答えさせると言うことだろう。
だがそれは、ほとんどの指導者が選手に質問を投げかける場合は
「指導者の考え当てゲーム」
をしている場合が殆どなのであると考える。
「考えさせる」より「指導者の持っている考えを当てるゲーム」をしている感覚が近いのだ。
要は「考えさせる」と言いながら、「自分の考えを当てさせる」ようにしているだけだと言うこと。
例えば、「ブロックで一番大事なポイントは?」と指導者が聞くとする。
選手は「得点を奪う!」とか「プレッシャーをかける!」とかいろんな意見が出てくる。
だが、指導者の言うことの多くは、
「それも大事だけど、一番は〜」
とか
答えが出て「そう!それ!」
と言うかのどちらかである。
私は現役時代にそういった指導者に対して
「自分の考えを当てさせたいだけなんだな」
と思っていた。
多分今の選手もそう思う人が多いだろう。
答えはいくつもある。
「考えさせる」という教育理念ではそのような質問の仕方、答え方は間違っているのではないかと考える。
私が考える質問の仕方としてベストだと思うのが
1.考えさせたい場合は絶対に、選手の出した答えに対してリアクションすること。(頷くなど)
2.肯定も否定もしない。受容するのみ。
3.自分の言いたい意見はあくまで自分の考えであり、他に正解はあるということ。
を私は徹底している。
要は
【考えることを重視したいなら、ありのまま思考させるのが大切。指導者が前もって答えを準備している時点でナンセンス】
ということ。
【ある程度、答えは持ち合わせるがそれだけが全てだというニュアンスで言わないこと】
と言った方が正しいだろうか。
考えさせるということは、答え当てゲームではない。日本の答え当て教育をしてきた影響でそれは根深いと思う。
正解を言わせるとか、それっぽいことを言わせるのが「考える」ことの本質なのかということ。
あくまで「指導者の私の意見」として言うことが必要であり、
「他に答えはあると思うから、思いついたら私に言ってね!」くらいの気持ちで言わないと、選手が思考を停止してしまいかねない。
まとめると
1.考えさせているようで、指導者の考えを当てさせている現状があるということ。
2.そして選手はそのような答え当てゲームに疲れているという事。
「考えさせる」ということを改めて考え直していかなければならない。
「指導者」と「AI」
その中でもAIはとても注目されているのは事実だろう。
AIの進歩によって数多くの職業が失われると叫ばれている。
私もその意見には同感だし、人間がすべき本来の仕事をする時代が来ることに喜びを感じている。
そこで大切なのが、AIを理解することであると考える。
私もそこまで深くは理解しておらず、勉強中の身ではあるが、Yahoo! JAPANの安宅さんはユニークな人柄で専門的知識が深いので面白い
AIを考える上で、スポーツ指導者も例外ではない。
技術革新により、動画を撮り動作分析をAIが行い、即座にフィードバックが返り有効な練習法が提案される。
そのような未来がまもなく来る
いや、新型のiPhoneでは動作分析が可能になっている。
もうそのような時代に来ているのだ。
そこで指導者はAIやIOTなどを理解し、有効活用していき、何が現段階ではAIが出来ないのかを理解する必要があると考える。
違いを理解するには本質を捉えなければならない。
それが分からなければ、急速に指導者の必要性の有無が叫ばれ始める時代が訪れると思う。
私は、AI時代が到来しても指導者には価値が残ると信じたい。それは、AIがこなせない部分の多くを指導者が担うことができると考えるからだ。
メンタルサポートや、声かけ、選手のモチベーションの維持、育成のシステム作り。
どれも統計やデータでは測れない部分である。
元日本代表ラグビーヘッドコーチのエディージョーンズさんの著書で印象的だった
「指導者はアートである」
という言葉の意味を理解出来るようになってきた。
要は、いくらデータがあってもそこからいかに戦術を立てて戦うか、どういった試合運びをするのかはアートであり、情報の選択なのだということである。
私は、これからはいかに選手に信頼されるか、信用されるかが試される時代であると思う。
知識はもうじき、ググれば全て出てくるように変わる。
トレーニングメニューや、技術スキル、メンタルトレーニング方法など、
今まで限られた一部の人しか知り得なかった情報がどんどん身近に溢れる。
その情報に勝るのは無理に等しい。
だが、どのような情報にも対応できる「教養」を身につければ指導者の価値は維持できると考える。
例えば、バレーのフェイントのスキルをググって動画で見たとする。
するとフェイントの使い方はある程度上達すると考える。
だが、そのスキルがどの相手に対して有効なのか、今日の試合では有効なのか、
などその試合や状況に関してどう使うかは、その状況にいる本人しか分からない。
本人にとってのフェイントで得点をするという経験を効果的に与えるためには指導者の声かけや、サポートが不可欠である。
一度失敗しても、相手の状況を見て
「もう少しタメを作ってギリギリでフェイントしてみたら?」
といった、感覚的な抽象的意見は指導者である人間にしかサポートができないと考える。
それはフェイントという得点の本質を捉えているかが重要である。
要は、その時に最適化した情報を選手に与えられるか、その選択基準は教養が軸になると考える。
まだ、AIについてや今のテクノロジーについては詳しくは知らない。
だが、知らなければ確実に指導者として遅れをとると実感している。
㊗️ブログ始めました!🎊🎈
皆さん初めまして!
バレーコーチをしております現在、専門学生をしている西村と申します。今年21歳になります。(2018年9月28日現在)
このブログでは、バレーボールに関する記事から、スポーツ心理学、バイオメカニクス、哲学など私が興味のある学問を色々と自由に書いていこうと思います。
初回ということで、まずは自分の現在のプロフィールから紹介していこうと思います。
(2018年9月28日現在)
⚫︎高校:沖縄工業高等学校
⚫︎専門学校:ヒューマンアカデミー那覇校
⚫︎2019年4月から鹿屋体育大学三年生
という感じです。
バレーは中二から始め、高校、専門学校に通っている現在も続けております。
現在は9人制のバレーチームでのんびりバレーをしている感じです。
バレーコーチは専門学校入学とともに、自分の母校の中学校で外部コーチを務めて2年目になります。
専門学校では、機能解剖学やスポーツ生理学、栄養学に、バイオメカニクスなど色々と勉強しております。
鹿屋体育大学にはこの夏合格し、来年から進学予定になります。
次回からは少しずつ、学問の知識や普段考えていること、指導者としてのあり方や、自分のプロフィールの詳細など色々と不定期に書いていきます。
書き方は硬い書き方をする場合もあれば、ゆるい感じもありますし、脈略のない書き方など様々あります。
色々と書いていくので、なんとなく見るぐらいで楽しんで下さい^ ^