衰えゆく感性
昔はこの海を観ながらボーッとする事が大好きだった。
時間も、予定も、スマホも気にせずにただ自然を楽しんでいた。
いつの日か、海を見るにも次の予定を気にしている。
スマホを常に気にしている。
周りの目を気にしている。
そんな自分にとても違和感がある。
いつから自分という存在は、情報や知識に支配されているのだろうかと。
ただ感じることの難しさ
何も考えないことの難しさ
知識を得たらもう戻れないのだと。
昔のように純粋に楽しむことも出来ない。
それが良いか悪いかではなく。
もう一度頭で「ただ楽しんでいいんだよ」という命令を下さなければ楽しめない愚かさ。
経済、SNS、損得勘定、友人関係、お金。
どうでもいいことに時間を、自分を使っているこの愚かさ。
お金という支配を長く受け、自分が汚れ、心が汚れ。
もしいま私に死が迫ると、愚かだったなと分かるのに、分かっているのにその呪縛から逃れられない人類の愚かさ。
なにかを見て、これは良い悪いと評価しないといけないこの愚かさ。
ただそのものを楽しめない。評価という呪縛からは逃れられない。
私は何も知らない人が幸せだと思う。
何も知らない方が良い。
ありのままに楽しめる人が幸せじゃないかと。
ワイドショーを毎日見ていて幸せになる人はいない。大きな感動もない。
それより青空の下で昼寝をした方が生きてる心地がする。
知識と同時に自然を感じる感性が必要。
自然が良いとか悪いとかではなく。ありのままに感じる力。
ありのままに感じることに恥じないでほしい。
自分を出すことを恥じないでほしい。
あんなに純粋だった頃のままでいい。
「ありがとう」「ごめんなさい」が言えれば十分。
バカになることの難しさ。
良い人、規律のある大人という幻想。