「指導者」と「AI」
その中でもAIはとても注目されているのは事実だろう。
AIの進歩によって数多くの職業が失われると叫ばれている。
私もその意見には同感だし、人間がすべき本来の仕事をする時代が来ることに喜びを感じている。
そこで大切なのが、AIを理解することであると考える。
私もそこまで深くは理解しておらず、勉強中の身ではあるが、Yahoo! JAPANの安宅さんはユニークな人柄で専門的知識が深いので面白い
AIを考える上で、スポーツ指導者も例外ではない。
技術革新により、動画を撮り動作分析をAIが行い、即座にフィードバックが返り有効な練習法が提案される。
そのような未来がまもなく来る
いや、新型のiPhoneでは動作分析が可能になっている。
もうそのような時代に来ているのだ。
そこで指導者はAIやIOTなどを理解し、有効活用していき、何が現段階ではAIが出来ないのかを理解する必要があると考える。
違いを理解するには本質を捉えなければならない。
それが分からなければ、急速に指導者の必要性の有無が叫ばれ始める時代が訪れると思う。
私は、AI時代が到来しても指導者には価値が残ると信じたい。それは、AIがこなせない部分の多くを指導者が担うことができると考えるからだ。
メンタルサポートや、声かけ、選手のモチベーションの維持、育成のシステム作り。
どれも統計やデータでは測れない部分である。
元日本代表ラグビーヘッドコーチのエディージョーンズさんの著書で印象的だった
「指導者はアートである」
という言葉の意味を理解出来るようになってきた。
要は、いくらデータがあってもそこからいかに戦術を立てて戦うか、どういった試合運びをするのかはアートであり、情報の選択なのだということである。
私は、これからはいかに選手に信頼されるか、信用されるかが試される時代であると思う。
知識はもうじき、ググれば全て出てくるように変わる。
トレーニングメニューや、技術スキル、メンタルトレーニング方法など、
今まで限られた一部の人しか知り得なかった情報がどんどん身近に溢れる。
その情報に勝るのは無理に等しい。
だが、どのような情報にも対応できる「教養」を身につければ指導者の価値は維持できると考える。
例えば、バレーのフェイントのスキルをググって動画で見たとする。
するとフェイントの使い方はある程度上達すると考える。
だが、そのスキルがどの相手に対して有効なのか、今日の試合では有効なのか、
などその試合や状況に関してどう使うかは、その状況にいる本人しか分からない。
本人にとってのフェイントで得点をするという経験を効果的に与えるためには指導者の声かけや、サポートが不可欠である。
一度失敗しても、相手の状況を見て
「もう少しタメを作ってギリギリでフェイントしてみたら?」
といった、感覚的な抽象的意見は指導者である人間にしかサポートができないと考える。
それはフェイントという得点の本質を捉えているかが重要である。
要は、その時に最適化した情報を選手に与えられるか、その選択基準は教養が軸になると考える。
まだ、AIについてや今のテクノロジーについては詳しくは知らない。
だが、知らなければ確実に指導者として遅れをとると実感している。